1964年6月10日、アメリカ illinois 州 joliet に生まれる。父親がクラリネット奏者、兄もジャズドラマーという音楽一家。彼も8歳の時にドラムを始め、9歳から本格的なレッスンを受ける様になる。練習がとても好きだったらしく、学校から3時に帰ってきて、そのまま夜の9時まで練習する…といった毎日だったらしい。

15歳の時に warrior band 結成。これはいわゆる garage band で、約2年間活動する。その後、友人の誘いでポルカバンド eddie carossa's polka party に在籍。その後 razor's edge、sushi cowboys、mojo blues band を経て、jp & the cats というバンドを結成。このグループでシカゴ以外の都市でも活動するが、3年程して故郷 joliet に戻ってくる。その後は特に目立った活動はなく、幾つかの band 活動と大工業で生計をたてる。ある日友人を介して billy corgan に出会い、billy の band がクラブに出演する事になっていたが、 drummer を探してるということでそこに参加。これが smashing pumpkins (SP) であり、彼の人生の中で一番重要なキャリアとなる。

91年アルバム「gish」、93年「siamese dream」リリース。ジャズを基本としたテクニカル且つエモーション溢れる彼の独創的な drumming は、聴く者に圧倒的なインパクトを与え、多くのファンを作り、高い評価を得る。95年、SP 最大のヒットとなる「mellon collie and the infinite saddness」発表。しかし、このツアー中に、ある事件が起きる。 96年7月11日、 tour keybordist の jonathan melvoin がヘロイン大量摂取で死亡。一緒に行動していた彼も逮捕され、翌週 billy から band 解雇を言い渡される。彼はその後リハビリテーションプログラムを受け、活動を再開。kelley deal、sebastian bach (ex.skid row)、jimmy flemion (frogs) と the last hard men を結成。 alice cooper の "school's out" をカヴァーし、映画「scream」のサウンドトラックに提供。目立った音楽活動はこのくらいだが、実はこの間にレーシングライセンスを取得、jack baldwin の門下(?)で実際にレースにも参加している。98年10月31日、kiss とのハロウィーンライブのために LA に来ていた billy と再会。この時の billy の「一緒に recording しよう」という一言で、SP へ戻る事となる。99年初頭、SP への復帰が正式にアナウンスされ、オリジナルメンバーでツアーを開始。

00年2月「machina / the machines of god」を発表。しかし同年5月23日、アメリカのラジオ局のインタビューでbilly が突然の SP 解散を発表。6月4度目の来日 ( SP は5度目の来日)。初めて武道館のステージに立つ。7月、アメリカのドラム専門雑誌「modern drummer」内で、解雇から復帰に至るまでの様々な想いを告白。この記事は解散発表前に企画されたものだったが、既に解散を踏まえての発言がされ、ファンに大きな衝撃を与える。8月、カナダのフェスティバル等に参加後、しばしのインターバルに入る。9月、突然mp3での配信というリリース形式でSP が「machina II / the friends and enemies of modern music」発表。直後にヨーロッパツアーがスタート。この間、地元 joliet の殿堂入りを果たす。11月29日、SP が生まれた chicago で the final shows 1988-2000 と銘打った2日間のみのアメリカでの show が始まる。00年12月2日、「オリジナルメンバーで初めて立った」と言う、クラブ metro でのステージが SP 最後のライブとなった。

01年6月、「modern drummer」誌の2000年度人気投票で、rock 部門で見事1位を獲得、他2部門で同時ランクインするという快挙を成し遂げる。同時期に billy とギタリスト matt sweeney と新しいマテリアルのレコーディングに突入。new york にて着々と準備がすすめられ、10月下旬、前触れもなく「ライブ日程発表」という形で、 david pajo (当時は skullfisher という名前でアナウンスされた)を加えた新しい 4 人編成バンド zwan が始動。
11月16日から西海岸のみの短いツアーがスタート。翌年 4 月には、更に a perfect circle のベーシストでもあるpaz lenchantin を迎え入れ 5 人編成として短いツアーを決行。同月27日、lori と結婚。5月にシカゴのフェスティバルに参加した後、シカゴのスタジオで本格的なレコーディングを開始。10月に、lori との間に待望の第一子 audrey ella 誕生。 zwan は、reprise records と契約を交わし、2003年1月28日(国内は29日)、デビューアルバム「 mary star of the sea 」がリリースされる。

2月1日から、zwan 初の日本公演で jimmy 来日。東京・大阪・名古屋で計4公演行われた。その後、 zwan はヨーロッパとアメリカでツアーを行う。また、zwan は 5月下旬からヨーロッパを中心としたフェスティバルツアーを予定していたが、6月13日のオーストリア公演を行った後ツアーを突然キャンセル。7月に予定されていた日本のフジロック・フェスティバル出演も同時にキャンセルとなる。 ” paz が zwan を脱退”等色々な情報が流れているが、公式なコメントは現在まで発表されていない。jimmy は8月に初のドラム・クリニック・ツアーをスタート。5日間で5都市を廻り、沢山のファンを前に講演を行った。秋にはクリニック・ツアーを再開。日本でのクリニックも予定されているという噂もある。(August 2003)


jimmyのdrummingは非常に個性的である。
幼少の頃からjazz / fusionのレッスンを受けていて、pumpkins(SP)に入るまでは殆どrockスタイルのドラムをやった事がなかった(なので、SPに入った頃は相当違和感があったらしい)。ただjazz / fusionに限らず、 lutin、polkaスタイルのbandにも在籍経験があり、更にTVコマーシャルやドラマ用音楽のレコーディングに参加したりと、ジャンルにとらわれない活動を重ねて、その間に彼独特の「奏法」が確立したのであろう。実際のパフォーマンスもかなり自由な感じで、ある程度の「キメ」は構築するものの、後のプレイは殆どフリースタイルだと思われる。レコーディング時も、重要なフレーズ等はメンバーと一緒に構築していき、その他の部分は"頭に浮かんだもの"をそのまま叩いているらしい。 SPのbilly corganは、デモテープの段階でおおまかなドラムパートを作っているようで、 jimmyはそれをアレンジしていくという作業が多いようだ。彼自身「ソングライターは全てのパートを書けるのがベスト」という考えで、自分のスタイルを押すタイプは好まないそう(しかし、それだけbillyとの信頼関係が 深いという事でもあるのだろうけど)。彼のドラムで一番印象深い部分は、やはりスネアと金物系の「気持ち良い音」でしょう。そのスネアはあまり深い物を使わず、SP中期から5〜5 1/2inchをメインスネアにしている。 symbalもcrash系とsplash系のコントラストがはっきりしていて、彼独特の心地よいフレーズを生み出している。

ちなみに、実際のパフォーマンスを見ていると左手でcrashを叩く事が結構多く、これはやはりjazz / fusionのスタイルから来ているのかと思いきや、実は12歳の時に右腕を骨折してその間殆どまともに練習が出来ず、1年後にレッスンに復帰した時から「左腕crash奏法」になったとか。 tom類のヘッドも殆どがコーティング系で統一。更にストゥールを高めにし、ドラムに向かってtom類が少し低めの位置になるように設定、ヘッド部分も全体が 平らに近いセッティングだ(お陰で大きなセットでも「要塞」という印象がなく、決して大柄でない彼がデカく見える / 笑) 。manu katche、buddy rich、tony williamsが好きで、他にもbenny goodman、 john coltrane、duke ellington等のアルバムも良く聴く。どんなに忙しいtourの間でも、ルーディメンツとスティックコントロール関連の教則本は必ず持っていて、1日1回はルーディメンツの練習をするそう。今回のsacred and profane tour時も、簡単なプログラムの出来るメトロノーム (tamaのrhythm watch)を携帯している(これは飛行機で移動の時も、すぐ使える様に機内へ持ち込んでいる)。非凡な才能の持ち主で、非常に個性的な彼は紛れもなく「天才」であるが、同時に小さい頃からコツコツ練習し、ただただ頑張り続けてきた「努力の人」とも言える気がする。 そんな彼のSP解散後の活動は全くをもって「未定」だが、昔のインタビューを読むと 「将来はjazzクラブでプレイしていきたい」と語っていた。でも「お金にならないから、歳とってからだね!」…だそうだ。

参考文献 : modern drummer('94-'00),rhythm&drums magazine('94)


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